格差社会と子供の未来
なんか世知辛いものがある。
世界の国々では、薬がないからと言って、水がないからと言って1秒間に何人か亡くなるらしい。詳しくはしらないがそうらしい。医療が行き届かないから、亡くなる人も当然いるらしい。

世界に目を向けると、国による格差は確実に存在している。
が、日本でも着実に格差が広がり、生まれが貧しければリカバーする余地もなくなり、貧しさが連鎖する構造が構築されるようとしてるらしい、いやもう構築されているかもしれない。

国や政治は当然専門家、専門部隊が考えてこの問題に対峙しているとは思うが、一国民のボクも無関心ではいられない。今考えるとそうでもないが、我が家は幼少の頃、親父は遊びで毎日遅くの帰宅。家事育児は全て母が行っていた。という昔は普通の風景だ。

生まれは神戸だが、いたのは1歳までその後親の転勤だったか、転職だったか知らないが姫路に移り住んだ。住まいは市営住宅。要するに団地だ。高度経済成長真っ盛りの第2次べビーブーム(だと思う)生まれ1973年だ。周りには同年代の同じくらいの生活レベルの連中がわんさかいて、中流家庭ちょっと下あたり(と当事は認識していた)を満喫していた。団地に周りには緑がおおく、ハックルベリーよろしく、木の上に家を作ったり、虫取りをしたり遊びには事欠かない。近所を走る市川は絶好の遊び場だ。ルンペンのおっチャンにちょっかいを出し、本気で追いかけて逃げた記憶もある。

周りには同和地区もあるし、朝鮮民族集積地区(正しい表現ではないが、韓国人と北朝鮮人の多く住む地域:同和地区の隣にあった)。最悪の話だが(今では考えられないが)ある町(団地もある)に済んでいるだけで小学校の補講が週に1回特別にある。理由はその地区の人は頭が少し他の人と比べて弱いからという理由だ。今でも何処の町か頭に刻み込まれている。小学校の先生も補講に借り出され(恐らく市が主催者だ)特別授業を行っていた。そのくらい姫路市は格差を越えた差別の根強く残る地域だったのだ。

当然、同じ小学校に通うその地域に住む友達は大量にいた。聞くと結婚差別もあったらしい。彼らはいまどうなっているのだろうか?まーそいつらとは毎日森に、河に、山に散々自然と遊んだ。特に特別ではなく、何か弱いわけでもない。少なくともボクはそうは感じなかったが、同和地区に住んでいる。なんだこれって思った。

そんな幼少期を過ごしたのだが、家はというと全然裕福ではなかった。最近親に聞くと原因は親父の浪費だということが判明したが、家にはお金をほとんど入れなかったらしい。おかげで母親は人生のよりどころを求めて散々パラ宗教にはまっていた。ボクも巻き添えをくらい、浄土真宗やらキリスト教やら神統やら挙句の果てにはインド宗教にまで手を出していた。ボクと弟は関心が極めて低く、無宗教なのでいろんな寺かなにかの宗教施設に連れて行かれお経を読まされた。気持ちが入っていないので神様には非常に失礼なことになったのだが、、、

食事は大皿に1品。それをご飯を抱えてみんなで突っつくのが毎日。特に食べ物に困った記憶はないが、品数は極めて少なかった。親父がいるときはつまみやなにやら出てくるので多少豪華。お金を入れない割には贅沢な要求をしていたと感じる。家で余り深酒をする様子はなかったが、家庭放置が原因で夫婦喧嘩は耐えない家庭だった。当然、お皿もビュンビュントンでいた。確実に離婚すると思っていたし、母親は何度も離婚を口にし愚痴っていた。よく泣いてもいた。これがどのレベルの家庭か分からないが、我が家はこんなもんだった。

なぜか高校2年の冬に、ボクの一言が理由で家を購入した。つまり帰るだけの与信がたったわけだ。ということでさほど貧乏ではないことが判明する。現在でも何故かローンの支払いに私も参加している。住んだ実績は1年半くらい。その後、東京に来たのでほとんど住んでいないことになるが、負担は親父、ボク、弟の割り勘だ。ボクは二十ローンを抱えているわけだ。

というわけで、昔はよく裕福な家庭がうらやましかった。お年玉はドンだけ考えても3000円くらいだった。数人廻ってだ。くれない連中も多かったので学校で数万円のお年玉をもらったという武勇伝を聞くと本気でうらやましさが湧いたし、格差を感じた。でも、周りもそれに毛が生えた程度だったので標準だったのだろう。

これを現代に当てはめるとどうだろう。まー普通か。

高度経済成長化における標準家庭に生まれた(と定義すると)ボクが言うと説得力がないが、現代の格差はとなりに似たよな人が減ったという意味では差が開いたのだろう。とにかく、教育格差が半端ではない。余裕のある家庭は塾だ習い事だに時間をかけることができる。そこに一番重要な「生活する余裕が」みえる。この余裕が貧困家庭との一番の格差だ。何事にも余裕がないと適切な判断が出来ない。勉強をしなければ社会に出ても「この程度のことも出来ない人」とどんどん単純労働しかあてがわれなくなくなる。そのもの同士が結婚し子供を産むと教育の大切さを教える機会が(余裕がないため)減り、また貧困の連鎖を生む。

やはり「余裕ある教育を受けれる環境」これが日本の格差を解決するキラーコンテンツだろう。

昨日かなにかに日本における格差という意味で、母子家庭の母子加算がなくなります。というテレビをみた。内容は別にして、娘三人は家庭の困窮具合を理解している(厳密には三女は赤ちゃん過ぎて分からないと思うが)。それが不憫でならない。旦那は死んだのか離婚したのか聞いていなかったので分からないが、現在は母(病気)子供3名。家賃35000円で生活費は25000円。全ての生活保護+育児手当かなにかで12万円で生活しているらしい。金額は別にして、余りに不憫な姿に世界の貧困撲滅のためではなく、国内の格差撲滅のために何か出来ないか真剣に考える機会を得た。

まじめすぎでした?





http://e-ikumo.net/


コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索