袋とじ

2010年5月23日
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袋とじ
俺は文筆家という肩書きをもつ公益法人の労働者である。

当然、常にライバルのライター達の動向を注視している。具体例を挙げはしないけれど、おもしろライターと呼ばれる人達は絶対に一度は『袋とじ』について言及したものを書いている。それぞれ袋とじに関するロマンや薀蓄を、自らの技術を活かして面白く仕上げている。袋とじについて書かれたコラムなどだけを集めても一冊の本ができるだろう。これは言わばおもしろライターたちの大喜利だ。いつかは参戦したい夢の舞台。

今日は、その資料というか体験をゲットした。

労働終わりの午後11時、疲れた体に明日のガソリンというわけで(うーむおっさんテイストだ)、自宅近くのコンビニにビールを購入するために立ち寄った。すると、自転車を止めた視線の先に雑誌のあるコピーが待っていた。
“業界激震 相澤仁美 「スクープ全裸」”
マジで!と俺のボディにも激震が走った。鼓動は早まり、すこしエレクチオしてしまったかもしれない。オーバー30なのに元気すぎるぜ!俺。

とにかく、店内に入ってすぐにその雑誌(Flash)を探した。ペラペラとめくると、全裸で背中を向けた天衣無縫な相澤仁美の姿をすぐに発見することができた。なんたるエロス!乳房の側面は丸見えで、乳輪のあたりが曖昧糢糊としている。これはなんとしても、いろんな角度から、そして光の加減やらを試行錯誤して観賞したいと本能で感じた。いつもならもう少し考えてから買う性分の俺だけれど、「こんな出会いはもうないかもしれない」と勢いで購入する決意をした。

無職時代から顔見知りの店長を避けて、苦労してそうな若い女子にレジを打ってもらった。もちろんビールも含めて。

さて、家に帰りシャワーで身を清めてから、ビールを開け、カッターの刃をだした。これが新幹線の車内ならば、いろいろ独自の創意工夫のされた開封方法があるのかもしれない。だが、今は自宅。残念だが、というか保存したいので、きれいにスッパリやってしまおう。

開けてみると、“うーむ”というのが正直な感想だった。おしりなんかも見えてるし使えるといえば使えるし、もうすこし見たかったといえば見たかった。ただ一枚、乳輪が新潟は柏崎からみる佐渡島くらいの確度で見えるショットがあったので400円ならばOKだろう。しかし、俺が若かりし頃、週刊プレイボーイで杉本彩のヌードが掲載された時分に比べると遥かに劣る興奮だ。俺は当時のプレイボーイの切り抜きをまだ持っている。ヌードなのに袋とじでもなかった。あの頃の杉本彩は、乳に張りもあって、しかもあの乳房全体のシルエットや細部の出来が素晴らしく、ええ乳やな~と枕元に置いて寝ていたものである(思春期の俺にとって、宮沢りえの外が寒すぎて収縮しすぎたソレよりもはるかに美的に響いたのだった)。

杉本彩!?
そうなのだ、昨今のオッサンの下世話系雑誌は、袋とじを複数仕込むことが定番になっているらしく、第二弾として杉本彩ヌードというのもあった。映画や写真集などで飽きるほどその裸体を観賞し、目をつむっても(杉本彩のヌードを)描けるくらい見知った仲なので、「いまさらだな~」と思いつつも少しエレクチオしながらツツーっと開封してみると、彼女の主演映画のシーンをカットしたものだった。ビーチクは当然のように見えている。「妥当だね」と思いつつペラペラ見ていると、ふと手が止まった。四つんばいになった杉本彩の尻の割れ目の向こうに、濃い目の顔の男が険しい表情で尻をグワシと掴みながら、まるで山間から登る朝日のごとくに映っていた。


「なるほど」
と俺は呟いた。これでOKだ、と。
杉本彩がこれまでどれほど袋とじにされてきたかはわからない。おそらくその普及に相当貢献してきたと思われる。
そして、性の解放にも。
杉本彩は世間的な条件面で言えば熟女になる。しかしこのセクシー。巷の熟女たちは当然杉本彩のボディには遠く及ばないだろう、しかし、それは脱いでみなくてはわからないのだ!つまり杉本彩は熟女たちのその滅多に脱がない衣服に、北海道ほどのロマンを与えてくれているのである。俺は頭を垂れずにはいられなかった。

この雑誌にはモウ一つ、アイドルやアナウンサーのセクシーショット的な袋とじもついていたが、これはもはや期待もせず、内容もそれなりというおざなりなものだった。昨今のお宝ショットに対する厳しさは、ガソリン税の比ではない。杉本彩を見習ってほしい。かたやおっぱい丸出しで謎の男に後背位からのガッツリ舐められ画像で、かたや“見せパン”がチラっと見えるだけの画像で、しかもそれで裁判沙汰になったりするのだから、どこに平準を見出したらいいかわからない混沌とした世相をあらわしているようである。

論点がずれてしまったけれど、とにかく袋とじは買わせたら勝ちなのだ。相澤仁美と麻美ゆまに陵辱される夢をよく見る俺は思う、じっさいパイオツの形状の詳細などから麻美ゆまのほうが偉いと。でも、それがわかっていても相澤仁美のも見たいのが男の魂。「映画なら脱ぎます」と言ってしまえ。そして「篠山紀信なら脱ぎます」と宣言するのだ。でも簡単に脱いだらだめだ。袋とじのように、期待値を煽りながらもなかなか見せずに満足させるのだ。この雑誌で復活セクシーを晒していた本田理沙のようになりたくなかったらな!いや、でもこんな感じも悪くない。
いずれにせよ、このモヤモヤ感こそが、袋とじの醍醐味なのだから。


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