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鏡花と雛人形とイノセンス
   「でもね、古い人形には、魂のこもるということがあるからね。」 (江戸川乱歩「人形」)
  鏡花の作品に『雛がたり』という小品がある。数頁しかないのだが、雛人形をキーワードにして、幼児期の回想、紀行文、幻想譚が解け合った珠玉の一編である。鏡花には、亡き母が大事にしていた思い出の雛人形があったが、町の大火で、行方不明になってしまう。それから、十二、三年後、静岡の町の一軒の餅屋での出来事である。
遠くで、内井戸の水の音が水底へ響いてポタン、と鳴る。不思議に風が留んで寂寞(ひっそり)した。               ー(中略)ー 背後の古襖が半ば開いて、奥にも一つ見える小座敷に、また五壇の雛がある。不思議や、蒔絵の車、雛たちも、それこそ寸分違わない古郷のそれに似た、と思わず伸上りながら、ふと心づくと、前の雛壇におわするのが、いずれも尋常の形でない。雛は両方さしむかい、官女たちは、横顔やら、俯向いたの。お囃子はぐるり、と寄って、鼓の調糸を緊めたり、解いたり、御殿火鉢も楽屋の光景。 私は吃驚して飛退いた。 敷居の外の、苔の生えた内井戸には、いま汲んだような釣瓶の雫、――背戸は桃もただ枝の中に、真黄色に咲いたのは連翹の花であった。 帰りがけに密と通ると、何事もない。襖の奥に雛はなくて、前の壇のも、烏帽子一つ位置のかわったのは見えなかった。――この時に慄然とした。                              (泉鏡花『雛がたり』)
少し怖い雛人形が描かれている。水音に導かれて、日常が、異界へと変貌する。鏡花は、亡き母の思い出の雛人形と「寸分違わない」ものを奥座敷に見る。ふと、手前にあったもう一つの雛壇に視線を移すと、まるで楽屋であるかのように、雛人形達が好き勝手な格好していた。帰りに覗いてみると、奥の部屋の雛は消え失せ、手前の雛壇は通常の状態に戻っている。それを見た鏡花は、ぞっとする。
 現在の雛祭りの行事が、普及したのは、明治以後である。平安時代には、小さな紙人形でままごとをする「ひいな遊び」が存在し、また三月上巳(じようし)に、紙等でつくった形代で体をなで、それを川に流して穢をはらうという行事が行われていた。この二つが次第に融合し雛人形の原型となったと言われている。また、「雛人形」という言葉は、江戸時代になってはじめて生まれたものである。江戸中期ころまでは、「雛遊び」と呼ばれており、これは「神遊び」、すなわち、神を迎えて祀り、女子の成長を願い、災厄を祓うための祭りを意味していた。江戸末期に、京都式の官女、随身を取り入れ、それに江戸式の五人囃子を加えたものを雛人形とした。現在もこの形式に習っている。
  市川崑 監督『日本橋』
 ところで鏡花の『日本橋』でも、雛祭りが重要な役割をはたしている。主人公の葛木は、雛祭りの次の晩、橋の上から、雛に供えた栄螺と蛤を放生会として、川に解き放つ。すると、巡査に、見咎められ、不審尋問を受けるが、通りがかった芸者のお孝に助けられる。ヒロインとの出会いの場面である。橘正典は、『日本橋』の古風さを認めた上で、そこに描かれるヒロイン達の美しさを「私たちが現在でも、なお文楽芝居にいじらしく健気な女たちの人形を見て美しいと感じるように美しい」と述べている。
鏡花の『日本橋』の隠れた主題が雛人形であることは、誰の目にも明らかである。お孝も清葉も葛木の姉も物語の中で自らを人形に擬しているが、擬すまでもなく彼女たちは皆、何者かに操られながら、しかしそれを越える人形自体なのである。                          (橘正典『鏡花変化帖』 国書刊行会)
人形のモティーフの氾濫により、人形と人間の境界が曖昧になって行くのである。
 折口信夫は、「人形の話」の中で、室町時代の「ひひな使ひ」について以下のように述べている。
昔男があって、長者の女に通うたということを歌いながら人形を使う。すると世間の人は「ひひな」自身が物語をしているというふうに理解する。従来日本の民間に行なわれている唱導文学の聞き方からいうと、どうしてもある一種の神事にあずかる人、すなわち「ほかひ人」のする芸能は、神がいうていると聞く習慣があるために、人形が語っているように感ずる。 われわれからいうと、地の文、詞の部分、さわりの部分はみな別であるが、昔はほとんど詞の部分がなく、地の文ばかりで、それを人形自身が語っていると感ずる習性を、昔の人はもっていた。                             (折口信夫「人形の話」)
乱歩風に言うならば、昔の人は、「人形は生きている」と感じていたのである。もともと人形には神霊の依代としての機能があった。祭礼の山車の迎え人形などが、その代表であろう。平安時代、傀儡子は、手操り人形を舞わしながら日本中を漂白していた。この人形は傀儡子の仕える神の形代であったと言われている。やがて傀儡子が、「ひひな使ひ」になり、人形浄瑠璃が生まれてゆく。また東北地方の「いたこ」は、オシラ様を両手に持ち、祭文を語りながら舞わせるという。
この「おしらさま」に毎年一枚ずつ着物を着せてやる。着物を着せるというのは、「おしらさま」がお雛さまだからだ。つまりもとの意味は、「おしらさま」がその家のけがれを背負っている、ということになる。だから古い「おしらさま」は、布の中に埋もれている。奥州では、「いたこ」が「おしらさま」を使いにくる。これをおしらさまをあそばせる、といい、「おしらあそび」という。「あそばす」とは踊らすことである。                             (折口信夫「人形の話」)
折口によると、オシラ様=お雛様なのである。鏡花の晩年の作品に『山海評判記』という長編がある。これは、柳田国男経由で、東北で信仰されているオシラ様を知った鏡花が、白山の姫神信仰をテーマとして書いた作品である。篠田一士は、「ぼくはこの小説をいわゆる小説として読むのではなく、一曲の音楽作品として聞き惚れたのである。」と評している。数ある鏡花作品のなかでも異色作となっている。興味深いのは、主人公の作家が、物語の中で、「白山神=オシラ様」説を説いている事である。折口によるとオシラ様とは、巫女である「いたこ」によって操られる人形であった。『山海評判記』には、発表当時まだ珍しかった紙芝居が登場する。紙芝居といっても、作中に「小児相手の、紙芝居、人形絵とも称えよう。」とあることから、切り抜き絵の人形を操っていたものらしい。ここでも人形が登場するのである。川村二郎は、「人形の話が、いつの間にか生身の人間になる。それは小さな模型の世界が実物大に膨れ上ったかのようでもあるが、また人間が縮に縮んで、小さな紙きれの形になってしまたかのようでもある」と指摘している。この作品においては、人形の演じる虚構が、現実世界に進入してくるのである。
 『山海評判記』挿絵 小村雪岱画
 ところで、現代において、紙芝居に相当するのはアニメーションであろう。animationという言葉は、魂を意味するラテン語のanimaを語源とし、「生命を吹き込むこと」を意味

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